今回は「文化」という言葉を掘り下げることで、Web寺子屋のミッションである「新しい視点、知識、パラダイムに触れて、日常が違って見える」を目指していきます。
文化という言葉を掘り下げることを通じて、毎日の職場や、コミュニティ、世界の見え方が変わってきて、面白いはずです。
今回は「言葉」の方面からアプローチします。なお、次回は「複雑系の科学」や「システムダイナミクス」の視点からアプローチするので、次回の内容と合わせてお読みください。
では、始めましょう。
まずは、言葉から考えてみよう
Web寺子屋2010などから親しんでくれている人には、お馴染み「言葉」から考えてみましょう。ポイントは、答えを得る前に「まず、地頭」で考えることです。
地頭で考えるとは、知っていることを総動員して、あれこれ推論することです。かっこいい言い方では 「フェルミ推定」 や「フェルミ推論」と言います。さらに、 アナロジー(類推)を駆使する なんて言い方もします。
とにかく、考えてみましょう。
似ている言葉や、漢字に注目する
文化の「文」に「化けていく」と書きます。この「化」という言葉は、最適化などでも使います。これは、特定の方向に向かい続けるようなイメージを持つ言葉です。
つまりは「文」という状態へ向かっていき続けているということです。
では、「文」とは何でしょうか?
あえて「文化」以外を調べてみる
文は「文字」や「文明」などで使います。「文人」なんて言葉もありますね。文化以外の言葉の定義を調べてみましょう。
「文化」を直接調べる前に、ちょっとだけ遠回りすることがコツです。
「文字」について考えてみる
まず、文字の定義を辞書で引いてみます。すると以下の通りです。
言語の伝達手段の一つとして使われる符号
まず、「文字」について考えてみましょう。文字は、「人の頭の中にある伝えたいこと」を、紙など(昔は木片とか、葉っぱとか)に記号で表したものです。
これを「コード化」と言います。音楽の楽譜も、現在のコンピューターがやっているとも、Webも、ChatGPTが言葉を作る作業にも、全て「コード化」が行われています。
コード化は、「ルール」によって、「この線の組み合わせは、りんご」などと、関係を創造し、共有することです。
そうやって考えると、「文字」って不思議ですよね。共有する相手がいないと不要だし、共有する相手と「同じルール」を共有しておく必要がある。
「文明」について、考えてみる
同様に、文明の定義も辞書で調べてみます。
文字をもち,交通網が発達し,都市化がすすみ,国家的政治体制のもとで経済状態・技術水準などが高度化した文化をさす
これまた面白い。「文字を持つこと」を条件としています。つまり、「文字を持たないと、文明とは呼んでくれない」ということです。
そこから考えてみると、「縄文文明」と呼ばずに、縄文文化と読んだのは、もしかしたら「文字を持たない(と考えれている)」からかもしれません。
あるいは、交通網、都市化、国家体制、経済、技術、共同体などが、そこまで発達していないと考えられたからでしょうか。それでも、そこそこ「文化」と呼ばるほどの何かがあったのだから、「縄文文化」と呼んだのかもしれません。
ちなみに、最新の研究を集めると、私が小学校や中学校で習ったものとは、かなり違います。一万年近く栄えた上に、非常にクリエイティブで、豊かだったと考えられています。どんぐりを中心とした貿易もしていたようですし、文明と呼んでも良い気もします。
まとめると「文明」と呼ぶには、
文字を使う(縄文にはないらしい)
交通網の高度化
都市化(村の集まり程度)
国家体制(縄文にはないが、平和だったかも)
が必要となるということです。では、文化は、ここまでの要求はしない。では、何が集まれば「文化」と呼べるのでしょうか?
このように、あれこれ「考えを巡らせる」ことが大切です。そうやって、考えていること自体が、新しい脳のコネクションを作り、記憶を定着させ、新しい知識を取り組む余地をつくります。
学校教育も、このように行えば、簡単に「探究型授業」ができると思います。何も、実験を多用しなくても、大掛かりなプロジェクトをしなくても、探究は、いつでもどこでもできます。
いよいよ、文化を調べてみよう
さて、お待ちかね(?)、文化について、辞書を引いてみましょう。
社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体。
ここでポイントとなるのは「総体」という言葉です。単純に別の言葉で表せば「ほぼ全体」を意味します。しかし、ここでの総体とは、「いろんな構成要素が集まって、成り立つもの」です。
2つの抽象概念のパターン
細かい話ですが「抽象概念」には、いくつかパターンがあります。例えば、「りんご」という概念は、以下の図のように「具体的なリンゴ」それぞれと直接関係を結んでいます。隣の「具体的りんご」とは直接の関係はありません。
別の言い方をすると、「あるりんごが抜けた」からといって、「りんご」と呼べなくなったりしません。
一方で「総体」と読んでいる場合は、以下の図のように「いろんなものが集まった状態」に、特定の名前をつけている状態です。
この場合、構成要素の中でも重要な何かが抜けてしまうと「それ」とは呼べなくなってしまいます。
文化の場合は、「ある特定の構成要素が集まって、その集合(総体)に対して貼られたラベル(抽象概念)」というパターンです。文化を理解するには、「どんな構成要素」があると、文化なのか?を考えることがポイントとなります。
あるいは、「最小限の要素」は、何か?と考えることが、文化という言葉を定義する方法になります。
辞書に従えば・・・
辞書の定義は以下の通りです。
言語・習俗・道徳・宗教,種々の制度などはその具体例。文化相対主義においては,それぞれの人間集団は個別の文化をもち,個別文化はそれぞれ独自の価値をもっており,その間に高低・優劣の差はないとされる。カルチャー。
地頭で考えると、
同じ「言語」あるいは「言葉遣い」「言葉のチョイス」「言葉に当てはめている意味」
様々な行動に影響するルール、慣習、手順
道徳、倫理、価値観
様々な制度
これらが集まって何らかの形を成していると「文化」と呼べそうです。でも、まだ、私は「ピン」とこないんですよね。
でも、ここまで考えてみると、色々と知識が深まったように思います。
でも、もっと時間をとって「最小単位は何か?」「何を抜いてしまうと、文化と言えないか?」と考えると、あれこれ面白いと思います。例えば、
別文化を持っている人が、そこに入ると「疎外感」や「別の場所だ」と明確に感じるぐらいの同調圧力、排他性があること
かもしれません。一方で、「来るもの拒まず文化」があるとしたら、それは、どう定義したらいいの?など、疑問はつきません(笑)。「来るものを拒みたい人は、拒まれる」と考えれば、排他性があると言えるでしょう。
各人、あれこれ考えてみると面白いです。
別の分野の知識で捉えるといい
実は、知識とは「同じ分野の言葉で説明しても、本質を捉えづらい」ところがあります。
例えば「複雑系の科学」や「システムダイナミクス」という分野や、組織論や、ファシリテーションの分野のものの見方、知識を使って、文化を定義したり、文化を理解すると良いと思っています。
これについては、また次回、お送りします。
まとめ
今回のポイントは2つです。
文化とは、「構成するいろんなパーツが集まって、初めて形を表す抽象概念」というタイプの言葉
文化とは、「言語、ルール、価値観、倫理観、制度、手順など」を総体として、共有している状態のもの
そして、付属の知識としては、
フェルミ推定(知っていることや、関係しそうなことを総動員して推論する)
別分野の知識で分析することが大事かも
などです。特に「フェルミ推定力」は、今の所、ChatGPTなどにはできません(推論があやふやですので)。これこそ、人間が独創性を発揮できるところかと思います。
次回予告
「複雑系の科学」「企業文化」「システムダイナミクス」の視点から、考えてみよう。お楽しみに